レクター博士を捕まえた代償に、私は負傷して入院しただけでなく、精神を心を魂を病んでしまった。
FBI捜査官だった私は心理分析・プロファイリングを得意として、犯人の心神に触れる事で難解な連続殺人事件の捜査に貢献してきた。 しかし、同調し過ぎてしまった。 レクター博士を捕まえた頃には、自分自身に、ウィル・グレアムに戻れなくなっていた。
やっと家族3人の平穏な暮らしを手に入れたのに、何故また元の仕事に戻るのかと自問する。
また自分の中に犯人の人格を取り込んで戻れなくなったらと、不安に思わないわけではない。 しかし、ジャックが私を必要としている。 一度壊れてしまったこの私を、まだ、必要としてくれている。
彼は無理強いはしなかった。 彼が裏にしたまま渡した2枚の写真を、私は自ら望んで表に返したのだ。
モリーにもケヴィンにも心配をかけたくは無かったが、あの仕事は私の天職だ。
この穏やかな生活を続けていくだけでは、自分が満足できないことも知っている。 家族を、家族との幸せな生活を守る事が生き甲斐だなんて、療養生活明けの今だから言えることであって、本来の私には愛すべき保護対象の家族とは別の生き甲斐が同時に必要なのだ。
・・・嘘ではないが、これらが体のいい言い訳だと、もちろん良く分かっている。 自分を騙す事はできない。
レクター博士という、この上なく危険で魅惑的な同類とは、心が離れ難かった。 彼は天才だ。 自分以上の能力を持つこのサイコパスに、私は憧憬の念を抱かずにはいられない。
再び、彼と接触したい。 そう心が渇望している。
私を元の世界に呼ぶのは、もちろん犯罪者だけではない。
私を理解し、心配し、それでいながら自由にさせてくれるジャックがいる。 私の脆い部分を知り、私の心神の限界を知り、支えてくれるシドニーがいる。
私の頭の中に浮かび上がる推理という名の犯人の痕跡を、形ある証拠として、それらが私の妄想ではないことを証明してくれるそれぞれの分野のプロフェッショナルがいる。
魂の安らぎが、強烈な刺激と共にそこにはあるのだ。
家族の深い愛情だけでは満足できない私は、強欲なのだろう。
サイコパスとシンクロした時、彼らの魂が私の魂に直接触れ、柔らかく細かい桃の産毛のような棘で撫でて行く。 痒みを伴うような生半可な刺激を与えられ、微かに苛立つ。 強く鷲掴みにされたほうが、どれほどすっきりする事か。
それが分かっていながら、サイコパスと・得体の知れない犯罪者と、私は同調せずにはいられない。 もっともっと彼らを知りたいという欲求が、抑えられない。 彼らと1つになる事で、自分自身が深く傷つけられると分かっていながら。
そんな私の魂を、別の魂が優しく癒す。 一つ一つ、無数に刺さった棘を抜くように、僅かに痛みを伴う愛撫の手が、私の魂から犯罪者の影を追い払う。 心の奥底で、救われることで得られる至福の喜びを与えてもらえると信じて期待している。
この手で人を殺す代わりに、人を殺すサイコパスに魂を明け渡すことで自分を穢し、そうしておきながら仲間の手に全てを委ねて浄化してもらう。
そんな禍々しい方法で欲望を満たしている変質者。 それが私。
魂の自傷癖は治らない。
このエクスタシーを、私は忘れられない。
(レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙)
あとがき
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